小気味よいテンポで文章の波が五感すべてに作用してくる、といった感覚にひたる。とりわけ嗅覚、触覚がリアルに沸き立つような表現たちは気持ち悪い部類のはずなのに、さらっとしていて不快感を引きずらず、物語の進行を妨げないでいる。
ユン・テジンが動くたびに、ソファは生き物のように反応し、音と匂いを放った。そんなとき、ユン・テジンは自分が陟州で最も憎悪しているのはこのソファではないかと思うのだった。老いた男たちの真っ黒な尻と、かしましい中年女たちの尻、飲み屋で何時間も居座ってきた事務局長の尻、どこの便器でどんな分泌物をつけてきたかもわからない尻たちが、数知れず座っては出ていくこのソファで、ユン・テジンは顔を埋めて眠るのだった。
(原文のテンポや匂いが寸分違わずそのまま邦訳に反映されていると勝手に確信した。)一例にこの尻たちの描写を挙げるのはどうかと思う御仁もあるかもしれないが、わたしのお気に入りだから仕方ない。
本作は愛の物語にちがいないのだけれど、社会の欺瞞や人災が醜悪であればあるほど、また感情の裏面にある憎悪や不安やらといった感情が悲壮的であればあるほど、言葉で愛だ恋だを語らないのにしっかりと愛の燈が点っている。黙って佇む著者近影にように。
最近の読書10冊(予定を含む)
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- 問いかけるアイヌ・アート 池田忍(編)五十嵐聡美・貝澤 徹・小笠原小夜・吉原秀喜・高橋 桂・中川 裕・山崎明子・池田 忍(著)
- 撤退の時代だから、そこに齣を置く(執筆)赤坂憲雄(『図書』岩波書店定期購読誌2021年1月号/往復書簡「言葉をもみほぐす」最終話)
- 絵本の本 中村柾子著
- 藤井聡太 すでに棋士として完璧に近い(谷川浩司筆・文藝春秋2021新年特別号所収)
- 石たちの声がきこえる マーグリート・ルアーズ(作)ニザール・アリー・バドル(絵)前田君江(訳)
- 国旗のまちがいさがし 苅安望(監修)
- ひみつのビクビク フランチェスカ・サンナ(作)なかがわちひろ(訳)
- あしたはきっと デイヴ・エガーズ(文)レイン・スミス(絵)青山南(訳)