小気味よいテンポで文章の波が五感すべてに作用してくる、といった感覚にひたる。とりわけ嗅覚、触覚がリアルに沸き立つような表現たちは気持ち悪い部類のはずなのに、さらっとしていて不快感を引きずらず、物語の進行を妨げないでいる。
ユン・テジンが動くたびに、ソファは生き物のように反応し、音と匂いを放った。そんなとき、ユン・テジンは自分が陟州で最も憎悪しているのはこのソファではないかと思うのだった。老いた男たちの真っ黒な尻と、かしましい中年女たちの尻、飲み屋で何時間も居座ってきた事務局長の尻、どこの便器でどんな分泌物をつけてきたかもわからない尻たちが、数知れず座っては出ていくこのソファで、ユン・テジンは顔を埋めて眠るのだった。
(原文のテンポや匂いが寸分違わずそのまま邦訳に反映されていると勝手に確信した。)一例にこの尻たちの描写を挙げるのはどうかと思う御仁もあるかもしれないが、わたしのお気に入りだから仕方ない。
本作は愛の物語にちがいないのだけれど、社会の欺瞞や人災が醜悪であればあるほど、また感情の裏面にある憎悪や不安やらといった感情が悲壮的であればあるほど、言葉で愛だ恋だを語らないのにしっかりと愛の燈が点っている。黙って佇む著者近影にように。
最近の読書10冊(予定を含む)
- 映画にしなければならないもの(INTERVIEW)瀬々敬久・佐藤健・阿部寛/キネマ旬報2021年10月上旬号
- 小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌/回顧展公式カタログ兼書籍
- シンポジウム「明日に向けて、何をどう書いていくか」日本児童文学者協会2021公開研究会/案内リーフレット
- 「ぞうもかわいそう」再びー『かわいそうなぞう』の虚偽(筆)長谷川潮/『日本児童文学』2021年9・10月号特集「伝える」を問い直す
- レイシズムを考える(編)清原悠
- 咀嚼不能の石(筆)古矢旬/『図書』岩波書店定期購読誌2021年9月号巻頭
- 読書の敵たち(筆)大澤聡/『図書』岩波書店定期購読誌2021年9月号所収
- 宵の蒼(著)ロバート・オレン バトラー(訳)不二淑子/「短編画廊 絵から生まれた17の物語」所収 (ハーパーコリンズ・フィクション)
- 木村素衞――「表現愛」の美学 (再発見 日本の哲学)(著) 小田部胤久
- たまごのはなし(作・絵)しおたにまみこ