分断を超えるハンセン病文学の言葉(執筆)木村哲也(『図書』岩波書店定期購読誌2021年2月号)

ハンセン病の隔離政策を執拗なまでに廃止しなかった国、それが日本という国であることを我々は忘れてはいけない。今の政治家や国家公務員は前任者の悪行と言い放つかもしれないが、その時代から連綿とつづく政府に変わりない。組織の体質とはそうした歴史の産物にほかならない。

さて、ハンセン病文学として著名な合同詩集『いのちの芽』のもともとの題名が「来者」になるはずだったと初めて知った。いまごろそんなことをいうのは意味が無いだろうが、癩者と同音にして未来を示唆する「来者」にしておいてほしかったと念う。編集者の、売れてなんぼという意思がまさったのは当然なのだろうが。

それ以上に、新鮮な着眼点を筆者は教えてくれている。詩人たちはそれぞれに孤立し心を閉ざした創作者ではなかったという事例だ。詩作指導者と思われていた大江満雄さんが一方的な編集指導の人でなく、啓発し合い創作意欲を高めあう同志であったことが、「来者」誕生のエネルギーだったにちがいない。

全国の療養所の詩人たちへの聞き書きの旅を進めるなかで私は、従来のハンセン病問題の研究誌ではまったく目を向けられてこなかったこのような相互交流の史実を教えられたのである。

ハンセン病療養施設にいる人びとはすっかり高齢となり、ほどなくして、隔離の辛酸をなめた方々は居なくなる。なればこそ聞き取りに遺された時間は多くない。令和という時代が、ハンセン病文学=来たるべき者たちの文学と確と認知する時代になってほしい。

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