
2001年の同時多発テロ事件直後の米国ナショナル大聖堂追悼式における、宗教色のつよいメッセージをプロローグに据えている。その場には一神教として宗教的立場のちがう人びとが参列していたのだから、それぞれどう感じたのか。第三者には「どの神?」「神は同じ?」との疑念を生じさせたというわけだ。2002年発行。
この本を読むと、”大方の日本人は根本的に西欧社会とは別の世界の住人”とつくづく感じさせられる。それでも、国際社会の多くの分野で、西欧文化が圧倒的優位ななかで共存共生している限りは、一神教の歴史とこれから、とりわけ彼らの神と民の関係性の推移を学んでおくに越したことはない。
「イエスが宣べたのは神の支配の到来だったが、実際に到来したのは教会の支配だった」
という皮肉のこもった言葉がある。教会はやはり、(中略)「分け隔てしない神」の権威を背景にして世界を支配しながら、人間の間に「分け隔て」を生じさせるような立場を選択している組織なのである。
前八世紀後半におけるアッシリアによる北王国の滅亡(中略)南王国も前六世紀前半にバニロニアによって滅ぼされてしまう。(中略)戦争の敗北・民族の滅亡という事態が生じるということは、神学的には、神が民を守らなかった、民を勝利に導かなかったということを意味する。
「契約の概念」が導入されて、「罪」の考え方が生じたのである。
(以降の歴史はもう割愛するけれど)一神教の教義というものは歴史的事件やら共同体維持の必要条件あるいは政治的支配構造などを「正当化」する目的で、幾度となく大きく変質しつづけてきて、今に至るのだ。その適応力が現代の一神教のそれぞれを存続たらしめているといえるのであって、実は、本来多神教のほうが安定しやすいという特性をわれわれは知るべきだ。ただ残念ながら、現時点では、生き延びてきた一神教が(世俗的で人間くさい)強大な科学文明の後ろ盾の機能をはたしている点は見逃せない。
本書もある意味では、一つの見解でしかないと言ってしまえばそれまで。でも、他の宗教を外側から冷静にみつめ、かれらの神とはどんな神なのかを見極めて、われわれの世界の神との異同と、その歴史的背景を学べば、国際社会のあるべき未来をイメージしやすいのではないだろうか。
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