内なるゲットー Le Ghetto intérieur (著)サンティアゴ・H・アミゴレナ(訳)齋藤可津子

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 フランス語で描かれた、第二次世界大戦ホロコースト犠牲者の家族の物語はどこまでも間接的であるがゆえに、「本当なのか」「なぜ」が付きまとって離れない哀しみの連鎖を産む。それでも永年当事者家族が黙し続けた真実が、風化しそうになる目前で堰を切ったように伝承されんとする。

主人公は著者の祖父。母を置いて南米に逃げた彼の元へ、ナチスの犠牲にさらされる母親からの手紙が届き、遠く離れた異世界の今について想像の嵐が脳内に吹き荒れる。ブエノスアイレスにくらす彼はアルゼンチン人なのか、ユダヤ人なのか、アイデンティティにまつわる苦悩も沸き起こる。そもそもユダヤ人とは誰をいうのか。

本作を通じて知った出来事の第一は、現在ホロコーストと呼ばれる事態が当初、世界中で名前もつけられずに報じられていたという事実だ。《出来事》とか《災禍》《凶事》《破滅》などと漠然とした表現であって、大衆はイメージすることさえ出来なかった。それほどまでに、何とも名付けようもないほどの異常事件であった。名付けるにあたっても、ナチスと外国の間に断絶があり、フランス語圏と英語圏でも対立し、ユダヤ人の中においてさえ意見が分かれたという。それほど名付けそのものが難事であった。

しかして名前のないものを人間は認知できない。その史実を忘れてはなるまい。

著者は現在(コロナ禍の2020年4月)、ゲットー内(そして外も)で起こった出来事をことさら特殊化することを忌む姿勢を示している。非人道的な殺戮や類似行為は今なお世界中で、身近なところで繰り広げられている。事実から目を背けてはいけないのだ。主人公の苦悩は全人類のそれとして受納しなければ。

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