読み出したら付箋だらけになった。かつて「差別」という語を使って教育を受け(大凡理解している気分だっ)た者としては、あえて「レイシズム」という括りで考え直す意義を貰った。差別に抗するために学ぶ、との序文タイトルの通り、抗おうとする意識を携えて生きたいと切に念う。本書では実に多彩な論者が多様な切り口で「意識するためのヒント」を提示してくれている。
序
https://kaiin.hanmoto.com/bd/isbn/9784907986384
第一部 差別とは何か
第1章 日常をとりまくレイシズム(金友子)
第2章 一世紀前の「ヘイトの時代」から考える(兼子歩)
第3章 レイシズムの精神分析(松本卓也)
第4章 レイシズムの社会心理学的研究(高史明)
第5章 差別とは何か(堀田義太郎)
第6章 資本主義・国民国家・レイシズム(隅田聡一郎)
第二部 差別を支えるもの
第7章 ヘイトスピーチとナショナリズム(山崎望)
第8章 ヘイトクライム、あるいは差別の政治化について(間庭大祐)
第9章 国籍と戸籍(遠藤正敬)
第10章 日本型ヘイトスピーチを支える一九五二年体制(梁英聖)
第11章 「左翼的なもの」への憎悪(百木漠)
第12章 ネット右派の起源(伊藤昌亮)
コラム 多様性を祝う(竹田恵子)
第三部 差別に抗する
第13章 差別否定という言説(明戸隆浩)
第14章 朝鮮人差別克服のための闘い(山本興正)
第15章 公的レイシズムとしての環境レイシズム(澤佳成)
第16章 移民と宗教フォビア(小林・ハッサル・柔子)
第17章 リベラリズムにおけるヘイトスピーチへの対抗策(安部彰)
第18章 ヘイトスピーチに対する大学の対応のあり方(堀田義太郎)
第19章 トランスナショナル・ヒストリーとしての美術史に向けて(山本浩貴)
第20章 プロパガンダの中の「日本人」(五味渕典嗣)
第21章 戦後補償問題に取り組む社会運動(清原悠)
本書のためのブックガイド
あとがき
執筆陣は概ね1970年代、80年代生まれ。敢えて老練な学者を排したのかなとも思うし、今、真摯にこのテーマに向き合っているのがこの世代なのだろうと考えて頼もしくなる。ただ、どの分野においても素人の一読者の分際には、カタカナ語の連発箇所ではたじろいでしまう。それは、日本が国際社会で大きく遅れをとっている証左そのものだと観念して、付いていくしかない。いまだにこの国においては、単一民族国家だとか、日本にもはや差別は存在しないと公言する輩がわんさと居るのが現実。外国人を「外人さん」と「さん」付けで呼んだところで、根っこは変質していないだろう。
レイシズムについて考え出すと、そもそも国家とは何なんだ、日本人とは誰を指すのか、根源的な問いが浮上してくる。グローバリゼーションという言葉の拡散は、より強固な境界線を築かせているようにも見える。人類永遠の問題と言ってしまえば「不変」に聞こえるが、時代と共に実體は変質しつづけているのだから、それはさながら新型ウイルスの変異連鎖にも似て「進化」(あるいは深化)する脅威でありつづけるにちがいない。そうして、そこに立ち向かい続ける姿勢こそが真に人類の進化と呼べるのだろう。