雪の練習生 多和田葉子(著)

偶々手にした一冊の本を読むときには、本当は予備知識無しで読みたいもんだが、余分な情報が邪魔する。売り手にすれば必要なのかもしれないが、読み手にすればドキドキワクワクが目減りする。あああああ。極端なことをいえば、わたしは小説かノンフィクションかさえ知らずに読み始める時が一番愉しい。

さて、本作。各話の中の「わたし」というのはてっきり人間、それも男と思い込んでいると見事に裏切られる。無論、前もってホッキョクグマ三代の物語という宣伝文句を知っているから唯々巧いなあと読み進めていく。


随所に散りばめられた人間社会批判は、批判に違いないながらも嫌味薄くて、何だか可愛らしく感じられるのは著者の筆力の賜物。そうして読者は著者の世界観に溶け込んでいく。

眠れないなどと言う状態を祖先は知らなかったに違いない。食べ過ぎと眠れなさは、どう考えても退化である。(中略)隠してあったウオッカを取り出す。

人間は痩せているくせに動きが鈍く、大事な時に何度もまばたきをするので敵が見えない。どうでもいい時はせかせかしているくせに、大事な戦いの時には動きが遅い。戦いには向いていないのだから兎や鹿のように賢く逃げることを考えればいいのに、なぜか戦い好きなのがいる。

「人間は不自然ということをとても嫌っているんだよ」とミヒャエルが説明してくれた。(中略)「それならば人間はどうして動物園なんか作ったんだ。」「うん、それは多分、矛盾しているところが人間の唯一自然なところだからだ。」

これらは、シロクマ目線の台詞。進化論をもじって遊んでいる。
それから動物の違いに疎いにわれわれを揶揄して楽しんでもいるのは痛快。

オットセイの外見はどう見てもセイウチだったが、渾名がオットセイなのだからそう呼ぶしかない。

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