松下育男詩集 現代詩文庫244

詩の書き方指南としては頗る具体的な指標を示してくださる(からといって誰しも詩人になれるわけじゃないんだけど)後進に優しい松下育男さんの、初期から今に至る贅沢な詩集。初期作品のころから一貫しているのは等身大のご自分へのまなざしじゃないだろうか。巻末にある松下育男論「とばない鶴」(上手宰・筆)ではカフカの変身と安易にむすびつけるのを忌避しながらも、明らかに希求する精神とそれに伴う犠牲において酷似し、その結果卓越した譬喩と発想を手に入れているとしている。わかったようなわからないような評価なのだが、わたしには仏教に於ける境智互照の観に近似して感じられた。境(対象)と智(主体)が自在に立場を転換するなかに自己とは何だろうと自然体で問いかけてくる精神世界といえばいいだろうか。自然体といえば、裏表紙に

松下育男の詩には無理がない。きらびやかな比喩もないし、読者をねじ伏せようとするような企みもない。あくまでも自然体と読める。

清水哲男・評

とあるのは正鵠を射ている。お気に入りの一篇を無理矢理えらんでみる。

こいびとの顔を見た

ひふがあって/裂けたり/でっぱったりで/にんげんとしては美しいが/いきものとしてはきもちわるい

こいびとの顔を見た/これと/結婚する

(中略)

これらと/世の中 やっていく

帰って/泣いた

解説としてはほかに廿楽順治さんが「詩の原質のふるえについて」と題して寡黙な著者の多年の根っこ部分を分析披露してくださっている。その上で、

最近の松下育男の詩は、分かりやすい叙情詩の相貌を見せながらも、今述べたような詩の「ふるえ」をさらに増幅させているように思う。(中略)領域が極度に増大している、という意味である。

とある。この評に同感するにはもっともっと彼の詩を読み込んでいかないとなあ、と思う。たのしみが増えた。

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