みごとに予想を裏切られた♪ タイトルも、切り口も、そして何より結末も。もっともらしさの代表格として標的にされたのは「神」の「もっともらしさ」だった。まず、ここでギョッとしたのは神の存在そのものを論じ出すのかと見えたからだが、(限られた紙数で陳腐な宗教観を披露されたら付いていけないところだった。)論点は「神の偶像」のもっともらしさに絞られる。本来、視覚に訴えなければ理解を歪められることもない存在に姿形を与えるという行為はジレンマを伴う。その実際は、日本の神仏習合のみならず、8世紀のビザンティン帝国による偶像破壊令まで持ち出して紹介しているから、古今東西を問わない普遍性を帯びる。
・・・以上は、見事な前振りだった。「もっともらしさ」のメイン・ターゲットは、「AI美空ひばり」を筆頭とする、得も言われぬ不気味さだ。わたしもTV放送で看たが、デジタル技術の未熟さの問題というよりも、想像力の未熟さが勝っているきがしたものだ。門外漢として初耳だったのは「不気味の谷」と呼ばれる現象名。
「不気味の谷」とは、人間ロボットの様態があまりにも人間に近くなったとき、(中略)ある程度までは親近感を増していくが、人間にかなり近づいたところにくると、不気味さや嫌悪感が生まれる。この境を越えて人間に似せていくと、今度は急速に親近感が増すといい、その親近感のグラフにV字の谷が現れる(以下略)
なるほど。結びが、またイイ。比べれば、神像のもっともらしさには「実体のなさ」を表現しようとする敬虔な態度が漲っていたのだ。
AIを使いこなして故人を再生できると過信した現代の技術者より、日本列島の古代や中世、神仏習合時代の人々のほうが、そうした綱渡りのような表現を会得していたように私には思えるのだ。
最近の読書10冊(予定を含む)
- 映画にしなければならないもの(INTERVIEW)瀬々敬久・佐藤健・阿部寛/キネマ旬報2021年10月上旬号
- 小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌/回顧展公式カタログ兼書籍
- シンポジウム「明日に向けて、何をどう書いていくか」日本児童文学者協会2021公開研究会/案内リーフレット
- 「ぞうもかわいそう」再びー『かわいそうなぞう』の虚偽(筆)長谷川潮/『日本児童文学』2021年9・10月号特集「伝える」を問い直す
- レイシズムを考える(編)清原悠
- 咀嚼不能の石(筆)古矢旬/『図書』岩波書店定期購読誌2021年9月号巻頭
- 読書の敵たち(筆)大澤聡/『図書』岩波書店定期購読誌2021年9月号所収
- 宵の蒼(著)ロバート・オレン バトラー(訳)不二淑子/「短編画廊 絵から生まれた17の物語」所収 (ハーパーコリンズ・フィクション)
- 木村素衞――「表現愛」の美学 (再発見 日本の哲学)(著) 小田部胤久
- たまごのはなし(作・絵)しおたにまみこ