柳田國男集(現代日本文學大系20巻)

柳田国男さんの『国語の将来』が読みたくて借りる。標準語教育によって、「標準語で物を考える大事」を説いている。こんにち当たり前と思っていることは当たり前ではないのだ。わたしにとっての発見は多々有るが、ひとつ引用してみる。

頑固とかわからずやとかいふ言葉も、何(いず)れもさう古くない時世の産物であって、皆被攻撃者の知らぬ間に発明せられて居る。此等の語を使はれると、あたかも陀羅尼(だらに)が狐狸(こり)を退散させる如く、相手には意外だから必ずたぢたぢとなるのである。(以上、一部表記改変。)

 

ああ、攻撃される側の知らぬ間に言葉たちが発明されるとは、現代も変わらぬのだ。他人を愚弄し差別し排除せんとする者の造語を警戒しようと思う。

 

追記。付録の月報てのが好きだ。川村二郎が"「ウソ」の復権"と題して柳田國男さんを(他の博覧強記の面々と比べつつ)語っている。

柳田は明確な個性の輪郭をあらわにしながら、しかもゆったりとしてひろがっている。

 

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