1914年発行の辞書には「流行語」「新文化語」として「新しい女」「赤バイ」「浅草式」などがある。(新しい男、は無いみたいだ。)辞書としての定義づけによれば、
アタラシイオンナ(新しい女)英国の自由思想を求める新しい女から始まり、習慣伝統、束縛拘束を捨てて自己の欲望を遺憾なく発揮する女を意味する。
アカバイ(赤バイ)警視庁のオートバイのこと。即赤色に塗られてあるから始まったのである。
アサクサシキ(浅草式)野卑低級、強烈な色彩で人にあくどい感じを与えたり挑発的な気分を与えること。
[デヱリー新文化語辞典、1926年、啓明社]
なお、新しい女については、別の辞書には一層くわしく、より侮蔑的に載っている。
新しい女(一)従来、男子に対して、絶対的に、盲従し来れる境遇より覚めて、婦人も人間である、人間である以上、人間(人格)として取扱われたいとの要求の下に、自覚的に活動せんとする婦人の総称。(二)右の如き真面目なる主義主張のあるではなく、徒らに、現在の不健全なる言論に扇動(おだて)られて、徒に奇を衒い、新を喜び、我がまま勝手なる振舞を敢てして得意がる一群の婦人を侮蔑的意味で呼ぶ語。(婦人問題を看よ)(一)を「覚めた女」などともいう。
[ポケット顧問 や、此は便利だ、1914年、平凡社]
著者は100年前の日本の雑誌、辞書などを読んで、当時のことばが現在に連なるか断絶しているかに注目した、まじめな論考を繰り広げているが、読者のひとりわたしは、100年前のひとびとをついつい見下してしまいそうになり、我に帰る時、もしも自分がその時代に生きていたらやはり流されていたであろうと反省もし、厭な気分ばかり残るのであった。
とはいえ、わたしらしく興味は当時の雑誌カバーイラストにも向いて楽しんでもいる。
余談ながら、雑誌『新女性』のこの表紙(左端)の女性は、こういう女優さんがいたように思ったが、鷲尾真知子さんそっくりじゃないか。
- EREWHON エレホン サミュエル・バトラー(著)武藤浩史(訳)
- 失われた芸術作品の記憶 ノア・チャーニイ(著)服部理佳(訳)
- 問いかけるアイヌ・アート 池田忍(編)五十嵐聡美・貝澤 徹・小笠原小夜・吉原秀喜・高橋 桂・中川 裕・山崎明子・池田 忍(著)
- 撤退の時代だから、そこに齣を置く(執筆)赤坂憲雄(『図書』岩波書店定期購読誌2021年1月号/往復書簡「言葉をもみほぐす」最終話)
- 絵本の本 中村柾子著
- 藤井聡太 すでに棋士として完璧に近い(谷川浩司筆・文藝春秋2021新年特別号所収)
- 石たちの声がきこえる マーグリート・ルアーズ(作)ニザール・アリー・バドル(絵)前田君江(訳)
- 国旗のまちがいさがし 苅安望(監修)
- ひみつのビクビク フランチェスカ・サンナ(作)なかがわちひろ(訳)
- あしたはきっと デイヴ・エガーズ(文)レイン・スミス(絵)青山南(訳)