他所者の神戸(執筆)尾原宏之(『図書』岩波書店定期購読誌2021年6月号)

今、兵庫県神戸に暮らしながら、本年1月で丸26年を迎えた阪神淡路大震災以降に移り住んだ著者の「よそ者」感は半端ない、らしい。・・・逆に、今は阪神エリアに居ないながらも大震災で住居全壊体験したわたしは、事あるごとに被災体験を口にしていることに思い当たる。でも私の知る限りでは、本当に怖ろしく過酷な状況に追い込まれた方々は黙しているし、他の人を「よそ者」にしない気がする。(ことばは悪いが)被害者づらしたがる輩(わたしをふくめ)は他人にかまって欲しい甘ったれであって、なおかつ経験を共有していない人を排除したがる・・・んじゃないか、等々考えてしまう。

著者の話題は、さまざまな被災の当事者に寄り添うような言説が今日増えてきた風潮へと及び、それを人間の進歩と称したりもする。その上で憐愍にとどまらず、いっその事、こんなことしたらいいのに、と大風呂敷を広げる頼もしさを期待しているのだ。嗚呼、ここに至ってわたしは黙るしかない気がする。それは己れの器量の小ささばかりでなく、その実例として挙がった中橋徳五郎(明治32年、大阪遷都論を発表)について、わたしは何も知らないからなのである。

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