[2020/12/04記-2021/01/18更新]
若し機感厚ければ 定業また能く轉ず[文句記、十三抄]
▲私註:運命(といえば仏教的な表現ではないけれど)は良く轉換することが出来る!
定業轉は、いとやすきことなり。・・・
爾らば其の証いかん。
答ふ、疏の八(七二ウ)に云く、大経に云く発心と畢竟とは二つにして別ならず、故に究竟と云ふ云云。輔正記(巻八)に云く、疏の大経に云く発心至不別とは名字の位を指して初発心と為す云云。ある経(仁王)に云く、是の故に発心信心難し、もし信心を得れば必ず退せず云云。また、記の十(一五ウ)に云く、凡夫の発心なほ妙覚と畢竟して不二なり云云。しかのみならず、当體義抄(縮九九一、定七五九)に云く、但だ法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱ふる人は煩悩・業・苦の三道、発心・般若・解脱の三徳と轉じて 乃至 能居所居 身土色心 倶體倶用 無作三身の本門寿量当體蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の事なり、と定判したまへり。此等の経釈・御抄分明に一念信心の経力を以て定業を轉ずべしと云ふこと明鏡なり。
開迹顕本宗要集雑部第十四
一切法華経に任せ奉りたる所を定業轉と申すなり。・・・
開化要談 十