序品第一

[2021/08/11開幕]

休止中でござる。

妙法蓮華経序品第一
隆師聖人『本門弘経抄』を手引きとして読む
 是の如きを我聞きゝ。一時、仏、王舎城・耆闍崛山の中に住したまひ、
 大比丘衆万二千と倶なりき。皆是れ阿羅漢なり。
訳者みならい

み仏の仰せにしたがい「如是我聞」で始めます。しかるべき時が巡り来たり、み仏は 王舎城・耆闍崛山 というところにましまして、立派な弟子たち12,000人と俱にありました。彼らは皆アラカンなり~!

尋ねて云く、一経の初めの如是我聞は阿難の私言なりと云ふべしや
答、釈尊の御言なり
其の故は如是とは所詮の法體なり我聞とは能開の人なり是れ阿難なり此の如是我聞の四字を一代諸経乃至法華経の初に之を置くことは仏入涅槃の時分来る間阿難小児の如く憂悔に沈む故に阿泥樓豆は阿難に勧めて云く釈尊既に涅槃に臨み玉ふに若し不審の事あらば今悉く尋ねらるべしと示す間、阿難仏に白して言く仏の滅後には一切経の初めには何の字を置くべしや、仏答へて云く如是我聞と置くべしと云云

弘経抄(隆全2-26)
訳者みならい

この典拠として記一、弘六、像法決疑経、輔正記一が挙げられている。

Juny

如是我聞という語句は阿難尊者のことばかと思いきや・・・釈尊の御言でしたか。

Juny

「一時」という表現は、他の経にもありますが、漠然と「ある時」あるいは「むかしむかし」という意ではないようで。

常の義に云く、一時とは霊山八ヶ年二処三会の説時を一時と云ふなり、又涅槃経には一日一夜の説を一時と云ふなり……今の一時とは仏と阿難と能所和合して仏法を傳持せしめ或は総じて一会の大衆と和合せしむ、……此の一時の時の義専ら因縁感応道交の義なり

(前掲2-61)
智者

肇師の云く、法王啓運嘉会の時

みならいB

肇師というのは、僧肇のこと?

些事は無視してすすむのだ。

Juny

「因縁」が重要なキーワードらしいが、王舎城という「場所」にも因縁があるにちがいない。

王舎城の因縁「駮足王」の事

……王舎城のある国をば摩訶陀国と云ふ。仁王経には摩竭提国と名く。此(ここ)には天羅と云ふ、天羅とは王の名なり、王の名を以て国に名く。此の天羅王は即ち駮足王の父なり。謂く昔し久遠劫に此の王千小国を領す。王、山を巡るに牸(めす)師子に値へり。衆人、迸(は)しり散せり、仍て王と共に交せり。後に月満ちて殿上に来て生めり。王此れ我が子なりと知って、我れ既に子無し、是れ乃ち天の賜へる処なりとて養ふて太子と為せり。足の上駮(まだら)なり、時の人号して駮足と云ふ。後に王位を紹ひで、喜んで肉を噉(は)む。厨人に勅して肉をして少からしむる事なかれと、有る時遽(にわ)かに闕けたり、仍て城の西に小児の新(あらた)に死せるを取て膳(そなえ)と為す。王の曰く大に美なり、之に勅して常に此の肉を辨ぜよと。厨人日に一人を捕ふ。国を挙げて愁恐す。千の小国、兵を興して王を廃し耆闍崛山の中に置く。諸の羅刹、之を輔けて鬼王と為す。因て山神に誓って千王の頭を取って山神を祭ることを誓ふ。九百九十九人を捕へ得て、唯だ普明王のみ少(か)けたり。後時に伺ひ捕へて之を得たり。大に啼哭して恨(うらめし)くは生れてより来(このか)た実語す、而今(いま)信に乖けりと。駮足、之を放(ゆる)して国に遷(か)へし、大施を作し太子を立て、仍て死に就く。形悦び心安し。駮足、之を問ふに聖法を聞くことを得たりと答ふ。因て之を説かしむるに広く慈心を讃め、殺害を毀訾(きし)し、仍て四非常の偈を説く云云

駮足法を聞て空平等地を得、即ち初地なり円教は初住なり、仍て千王各々一渧血、三条の髪を取て、山神の願に賽す。駮足千の王と共に舎城を立てたり。五山中の都として大国と為り各千の小国を以て太子に付して千の王更互に大国の知事と為る。又、百性五山の内に在て七度舎を作るに七度び焼かる。百性議して云く、我が薄福に由り数々煨燼(えじん?)を致す。王は福力有しませば其の舎焼けじ。自今已後我が家を排して王舎と為さんと。是れに由て焼を免れたり、故に王舎城と称す。又駮足千の王と共に舎を其地に立る故に王舎と称す。又駮足道を得て千王を放赦す、千の王赦さるゝこと其の地に於て地に名けて王赦と為す。而るに経家音を借て屋舎の字に為(つく)るのみ。此の因縁、大論及び諸経に出でたり。記の一に云く駮足の縁亦仁王に出たり云云

(前掲2-91)
Juny

王舎城が実は王赦城だったとは。

質問魔

駮足王のストーリーに華陽夫人が出てこないってことは、九尾の狐伝説は中国製? 日本製?

Juny

???

わたしは隆師聖人の解説に戻ります。きっと耆闍崛山についても、なにか因縁譚があるはず。

耆闍崛山とは摩訶陀国五岳山中の鷲峯山是れなり。此には霊鷲山と云ふなり。又は鷲頭と云ひ又狼跡と云ふなり云云 霊とは先仏今仏皆此の山に住し、仏滅後には諸の羅漢住し、法滅すれば支仏住し、或は鬼神住す、此等の諸聖霊の処居なる故に霊とは云ふなり。鷲と云ふことは山の峯、鷲に似たる故に鷲山と名くるなり。或は山の南に屍陀林あり、屍陀林に諸の鷲集って之れあり、来って此の山に捨てたる死人を食し已って此の山に栖む故に、時人之れを呼んで鷲山と云ふなり。此等の二の因縁を以て霊鷲山と名くるなり。或は又……広晋山……負重山……仙人窟山……異名種種なりと云へども霊鷲山を用ひて常途に講ずべきなり。

(前掲2-90)
みならいB

霊とは先仏今仏……この字義は『爾雅』の解釈の孫引きかな。その先例やいずこ?

声聞菩薩雑衆次第の事
義に云く、先づ同聞衆次第のことは諸経の中の先きに菩薩を列し、次に声聞を列すること之れあり。或は華厳経には声聞を列せず……無雑衆と成りぬ。……

(前掲2-102)
Juny

序列でいうなら菩薩を先に紹介してもいいはずなのに、ね。何か意味があるんだね。

爾前には菩薩凡夫を以て正となし今経には二乗を以て正となす事
……今経には記小久成を以て経旨と為す故に……先に声聞を列ね 次に菩薩を列ね 後に雑衆を列ぬるなり。仍て是の如き列衆の次第も二乗作仏の意を顕すなり

(前掲2-104)

今経は教彌実位彌下の故に一代諸経に捨てられたる二乗を取って正機と為す故に初めに声聞を列せり

(前掲2-108)
みならいB

あれ、つづきに興味深い引用を見つけたが・・・

記の一に仏地論を引て云く、声聞を列することを釈せば、仏地論に准ぜば八義を以ての故に先づ声聞を列す。一には、親り聞けば後に謗ぜざることを顕さんが為めの故に。二には、不定性を摂して心を廻し大に入らしめんが故に。三には尊貴の慢を除くには究竟に非ざるが故に。四には当に常に仏に随ふが故に。五には形儀同じきが故に。六には内の眷属をして欲を捨て令めんが故に。七には菩薩をして敬は令めんが故に。八には衆生をして信ぜ令めんが故なり。・・・

(前掲2-112)
智者

仏地論に云く、

何故此中先説聲聞後説菩薩。

①爲於大乘生疑惑者。除彼疑故。

②爲引不定種*性菩薩生定信故。

③爲已清淨諸大聲聞捨於自身尊貴慢故。

④謂於衆前大聲聞衆近對世尊親
受化故。又諸聲聞常隨佛故。

⑤形同佛故。

⑥内眷屬故。

⑦又令菩薩於聲聞衆生恭敬故。如契經言。菩薩不應於聲聞衆不生恭敬。由是讃歎聲聞功徳。

⑧亦令其餘於聲聞衆生淨信故。

[大正蔵T1530_.26.0298b]

Juny

仏地論の引用でまちがいなさそうね。①②……⑧を付けてあるのは老婆心ってやつですね。

つづく

註釈など

【題号について】

種々の義が繁多ゆえに先送り。

【訳者について】

姚秦の三蔵法師鳩摩羅什詔を奉して訳す