2019.11.06 旧(読書)junyo 奥州藤原三代―北方の覇者から平泉幕府構想へ (日本史リブレット人) 中尊寺の原初形態として、吾妻鏡にでてくる「多宝寺」「釈迦・多宝像」について語っている、数少ない研究者の一人。現存していないからって、たいてい無視してるんだよね。多宝如来は法華経に登場して重要な役目を担うんだけれど、一般には知名度低いのが理由なんだろう。つまり平泉の国づくり構想の基底にあったのは、もともとは法華経思想だったということ。日蓮聖人登場以前なので天台宗系の流れに違いないが、それ以上のことははっきりしない。大きく関わった僧などが判ればもっとおもしろいのだが。 FacebookXHatenaPocketCopy